私は、日本舞踊を表現ツールとして、創作(振付)をし、実際踊ったりもしています。
日本舞踊の技術は基本、歌舞伎舞踊(いわゆる古典)から来ていますので、その技術を使って振付するわけですが…
当然、その”振り”の意味は理解していなければいけないと思っています。
歌詞があれば当然、そのストーリーに基づいた振りになり、観て理解できる振りになります。
歌詞のない曲に振付する場合は、その曲を自分がどうイメージしたか、が大切なのは言うまでもなく、メロディーに基づく構成、雰囲気などがリンクするように振付したいですね。
たまに「こうすれば日舞に見える」というように、日舞のいろんな振りを順列組み合わせ的に羅列して踊りにしてしまうのを見かけます。
曲が違ってもそのまま同じ振りで踊れてしまいそうなのです。
それでは曲からどんなイメージを受けたとか、どんな気持ちで表現しようとしているかとか、全く受け取れないことになりかねません。そこまで考えていないのかもしれませんが。
私はクラッシック音楽に振付したことがありますが(バッハのドッペルコンチェルトです)、演奏者にどんな情景を歌った曲なのか尋ねると,「無い」と言われました。
ストーリーとか、情景とかなく、楽譜を読み込み、どう演奏するかだけだと。
この曲を聞いて、感動したのは確かなので、曲調(雰囲気)や、楽器(バイオリン)が、どのように弾こうと(表現しようと)しているのかをよく聞いて感じ取り、”楽器を演奏するように”振付し、踊りました。
音を聞いて具体的なイメージも勝手にわいてきたので、何も縛られることなく自由に表現しました。
この時は、バイオリン奏者2人とピアノの生演奏で踊りましたが、私の踊りを見て、「そうそう、そういう感じ(で演奏するの)」と言ってもらえて、嬉しかったのを覚えています。
以前、モダンバレエのモーリス・ベジャールが、忠臣蔵を舞台化したのはとても心に残っています。
彼が素晴らしかったのは、そのしきたりも意味も完全に理解したうえで、歌舞伎などに引きずられることなくバレエに昇華した舞台を作り上げた、ということです。
これはもう誰も、忠臣蔵ではないとは言えません。
創作するにあたって、日舞だというならやはり、日舞の技術を理解した上で変えたり、加えたり、アレンジしたりしなければならないと思います。
そのうえで創作のさじ加減は、その人のセンスがものを言います。
着物を着ていても、動きがダンスだったら、誰も日舞だと思えません。
日舞の振りを違う意味で使えば、日舞を知る人ならおかしい、と思うでしょう。
どのくらい洋舞の要素を入れられるのか。日舞の技術をどこまで崩せるのか。
色々試すには勇気がいりますし、失敗もあります。
でも、失敗があるからその上に成功があるのです。
今問題なのは、創作を専門にやっていく人が少ないことです。日舞の世界では圧倒的に古典を愛する人が多いために、創作の技術を大勢の人で積み上げていくことができない。
個々が別々に試して、失敗して、成功して、どれもがそれで終わりです。再演されないし、あとを継いで積み上げる人もいない。
古典、と言われる舞踊の技術も長い年月をかけて完成されたように、現在創作する私達も、本当は協力して積み上げていけなければ、成熟していけないと思うのです。流派を越えてでも積み上げていかなければ…。
現在でも、素晴らしい振り付け師と言われる方は沢山いらっしゃいますし、質の高い舞台が作られていますが、それが一回で終わってしまうのはとてももったいない、と思います。
何度も代替わりしても再演されれば、創作の分野が、もっと成長して行けると思うのです。
そして、未来の古典となるように、願っています。
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