周りと比べる人

人は周囲にいる人を見渡して、自分の”位置”を確認するものなのでしょうか。
学校生活においても”カースト”があるとか、びっくりします。
スクールカーストという言葉は最近できたと思うんですが、潜在的には昔から綿々と続いているのかなと思い当たりました。
卒業してから久々に会った友達と話していて”そう言えばあの人”みたいな話になった時、「あの人は頭良かったでしょ?私達と付き合いがなかったということは、”そういうレベルの人だった”ということよ」
と言われました。
え?”レベル”が違うから付き合わなかった(付き合えなかった)の?
うまがあうとか、趣味が一緒とかじゃなくて?
だいたい、レベルって何なんでしょう。
いつも一緒につるまなくても、その時タイミングが合えば何か話したり、遊んだりしてはいけないのでしょうか。
性格的にいつも一緒、ということができなかった私は、確かに修学旅行など”グループを作って”なんて言われると、誰と組めばいいかわかりませんでした。
別に仲間外れにされていたわけではないんですが、”必ずこの人たち”みたいな友達がいなかったのです。
でも、そういった私のことをわかっているらしい人たちが声をかけてくれました。
「グループ組まない?」
その人は部活で仲の良い子たちも沢山いましたし、別に一緒にいるグループもあったので、ちょっと驚いて「あの子達と一緒でなくていいの?」と思わず聞いてしまいました。
ちょっと返答しずらそうにしていたのが印象的で、いつも一緒、というのも大変だなぁと笑
結局そういった友達が数人集まって、無事グループを組むことができたのでした。
仲間外れは怖いですよね。
私は怖い気持ちもわかるんですが、だからといって”いつも一緒にいなければならない”という拘束が我慢できません。
違うグループの人と話しては行けないみたいなのも理解できない。
大人になっても
いや、大人になるとさらに厳しいカーストみたいなものがあるようです。
誰も自分の収入や仕事上の身分なんて公開していないはずなのに、厳然と序列のようなものがあって、気にせず喋ろうものなら睨まれたり、途中で遮られたり。
逆に”下”の方にいる人は、「あんな”上の人”と喋れない!」なんて言ったり。
もっとその人自体を見たい。
素晴らしい人ならば、やはり接してみたいし、色々知りたい。
接する機会があるなら、そのチャンスを逃したくない。
礼節は大事ですが、自分の”位置”なんて人と比べるものではないと思います。
芸事をやっているから、ということもあるかも知れませんが、尊敬する素晴らしい人は大いに認めますが、自分を卑下する必要はないと思います。
昨日の自分より進めたか。
明日に向かって努力しているか。
どんなに人をうらやんでも自分の実力は厳然としています。
人が転落したとて自分が上がるわけではない。
人生が終わる時、何もできなかった自分がどこまで進んでこれたのか。
その為にどんな努力ができたのか。
それだけでいい、と私は思います😊

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千翠珠煌
13歳よりアクションクラブに8年在籍。 19歳より日舞(古典・新舞踊)を始め、師範名取を経て1998年独立。 創作舞踊公演、舞踊指導等。 2017年千翠流舞を発足、国内外問わず舞踊ショー・イベントなどの活動をしている。