先日、幼少の頃よく遊んだ神社に行くと見事な新緑になって木々のエネルギーを感じ、思わず深呼吸しました。
そういえば、子供の頃は風で葉が揺れるのを感じながら、空を見上げて走り回っていました。
そんなに外遊びはしないタイプでしたが、東京に住む従姉妹達が遊びに来ると、広い場所が珍しいらしく、連れて行くというよりは、ついて行ってあげた、という感じでした。
幼少時の過ごした環境に久しぶりに出会えば、懐かしいものですが、ふと、それだけではないのでは、と思い至りました。
例えば、昭和の物たちなどを見たり触れたりという場があると、その時代を知らない世代も「
何か懐かしい」なんて言ったりします。
時代をさかのぼればさかのぼるほど、人の手作り感が増し、アナログな世界になっていきます。
今はデジタル化がどんどん進んで、スマートなデザインは素敵ではありますが、人の温もりとか手触り、というものがなくなってきていると感じます。
そんな中、小さい頃一生懸命こねて作った粘土細工のような、人の手触りをホッとして懐かしい感じがするのでは、と思うのです。
以前、しばらくぶりで電車に乗った時、広告が全面的にデジタル化された動画が整然と並んでいたのを見た時、強い緊張とストレスを感じました。
その、”機械”に囲まれた中、乗客達は何ら気にすることなくスマホを見ています。
そしてその乗客達の無表情さを見ていると、人はロボットになっていくのではないかと、少し怖くなりました。
学生の頃六本木に自宅があると言う同級生は、自然の中に遠足に行っても、都会のビル群に戻るとホッとする、と言っていましたが、これからの人たちはみんなそうなってしまうのでしょうか。
私は人間も自然の産物であり、自然であったり、人の温もりであったりに触れたら、例え経験していなくても、懐かしさを感じ、ホッとするものなのだと思いたいです。
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