娘は幼少の頃からお絵描きや工作が大好きでした。
私がお絵描きが好きだったので、折角私の元に生まれてくれたのだから、お絵描きの楽しさを伝えたいと思ってきました。
おもちゃも紙や木などの手触りが好きで、よく手作りしていたせいか、娘も何か欲しいものがあると先ずは作ろうとしていました。
そんな感じだったので、学校での図工の時間は好きだったようです。
うちではなかなかできない彫刻、版画などウキウキでしたが、残念ながらその気持ちを活かせない授業が多かった気がしています。
私の頃はそんなことは無かったと思いますが、描き方、作り方の指導があるのです。
版画の時、やり方は教わる必要がありますが、題材は自由では?
「お花を描きたかったのに、真ん中に人を大きく描きなさい、と言われちゃった」
その結果、壁に貼られたクラス全員の作品は全て人が真ん中に描かれたものが…。
苦手だったり、何を描いていいかわからない子には指導してもいいと思いますが、ここまで縛る必要があるのかしら…
[娘が小学生の時に家で描いた母(つまり私💦)の絵。学校で描いたら、ちゃんとお顔を書いて、と指導されるのかしら?]
私はこの疑問を先生にぶつけましたが、「そうするとできない子と差が出ちゃうので…」
そんなところ平等にする意味がわかりません。
指導法のマニュアルがあるのかも知れません。
採点も全員同じの方が付けやすいですよね。
(私の想像ですが)
以前かけっこは、順位がついて良くない、などと言った時期もありました。
勉強だけは年齢が上がれば上がるほど順位も明らかになり、良い成績が優秀とされます。
絵が得意な子、かけっこが得意な子は認められたことがない状態で良いということでしょうか。
個性をと高らかに唱えるようになっても、成績表に数字で明らかな順位(クラス内の自分の位置)が出ないようになっても、あなたのここが得意なものって認めてもらえていない、と感じるのは私だけでしょうか。
私も人に教える立場にあります。
踊りなので成績は出ませんが、その人の良い部分を如何に見つけて伸ばし、苦手なところをさりげなく直していくかはいつも心掛けています。
実は私もいつもダメな所ばかり責められ、何も出来ないけれど、でも…やりたいのでやらせて欲しい、と小さくなりながら生きてきた人間でした。
最初は褒められることの方が信じ難く、褒められることが苦手で、ここがダメだと言われるとホッとするくらいでした。(本当です!)
いつからか、このままではいけないと思い何とか自分を奮い立たせやってきたのです。
お弟子さんにはそんな思いはさせられません。
「ここが良かった、あとここが直ればもっと良くなる!」
教える時も演出だと思っています。
その人が最後には気持ちよく踊れるように。
それが良い踊り、良い表現に繋がります。
下手な踊りより技術が上がる方が良い、とする人もいますが、踊る本人が楽しければ観る人に確実に伝わります。
上手なんでしょうけど、面白くない…お上手、と言われる時点で誉められてはいない、と私は思いますね。
どうせ芸なんて終わりはありません。
その時の最高が出せれば次につながる。
やりたいことは、楽しくやるに越したことはありません😊
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