かかりつけの診療所まで住宅街を歩く途中、週に2度だけ営んでいる「チュン吉」という駄菓子屋さんがありました。
外観は普通の住宅で、2日だけ学校帰りの子供たちの憩いの場を提供しているのだろうと思い、そのうちの人と子供たちの触れ合う様子を勝手に想像して、前を通るたびほほえましい気持ちになっていました。
通りに面した大きな窓には、50㎝くらいの大きな丸い雀のぬいぐるみが外を見ていて、「ああ、あれがきっとチュン吉だ」と、通るたびに心の中で元気?などと声をかけたりしていました。
ところが、先日数か月ぶりに前を通ると、その家が壊され新しい家が建っていました。
建売住宅になっていたので、恐らく以前住んでいた方はもういらっしゃらないのだと思われます。
私は「チュン吉」に入ったことも無かったし、店が開いている日を見たことは無く、子供達が集まっていたところも見たことはありません。
でも、知らないうちに無くなってしまったことはとてもショックでした。
ネットが発達した現代、何かを探そうとすれば簡単に検索できるし、評判も「口コミ」を見ればある程度分かったつもりになったりしていますが、本当にそれだけで人はつながっていけるのでしょうか。
簡単に世界中に広まる便利さは確かにありますし、なかなか一昔前では見つけられずに埋もれてしまうものにもスポットが当たる利点もあります。
でも、それだけに頼ってしまうのは、何か大切なものを見過ごす、あるいは感じ取れなくなる危険もあるのではないでしょうか。
住宅街の片隅で、ほんの一握りの子供達だけしか集まらないかもしれないけれど、その中に学校で遊ぶのと違う子供同士の交流や、お店の人とのふれあいって精神的成長に大切なことなのでは、と思うのです。
今までの子供の勉強のさせ方は早く計算ができるとか、応えられるとか、テストができればいいと言われてきましたが、AIが今後発達するといわれる中、人にしかできないことを磨いていくしかないとも言われています。
私は高校生に日本舞踊を教えていますが、ある程度大人に近づきつつある彼等に対しても、「言わなければ伝わらない」「意見が違ったり、誤解があれば話し合おう」という根本的なコミュニケーションを説かなければなりません。
勉強と言う前にもっと人と、自然と、芸術と触れ合い、相手を思いやれる想像力、感性を磨いて人にしかできないコミュニケーション、表現力を身に着けていかなければならない、と私は思います。
感染症が蔓延する中、本当に必要なものは何なのか、随分考えさせられました。
1年以上我慢して、自粛した生活を送ってきて、誰もが精神的うるおいは不要ではない、と思ったのではないでしょうか。
完璧に数値化できる、言語化できるということも素晴らしいことだと思いますが、感情が溢れて一言漏れ聞いた時に感じ取れる想像力、感性はこれから本当に大切になるのでは、と私は思うのです。
私は感性を大事に育てる表現を教え伝えていきたいと思っています。
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