先日古賀稔彦さんが53歳でお亡くなりになりました。
言わずもがな、オリンピック柔道で金メダルを獲得し「平成の三四郎」と言われた偉大な方です。
大けがを押して試合に臨み、金メダルを獲得した瞬間を目撃している私には間違いなく英雄でした。
昨年ガンで手術をなさり、半年ほどで逝ってしまわれ、さぞや無念だったのでは、とお察しします。
私の叔父が、だいぶ前ですが50歳で胃がんの手術を受け、半年後検査した時には手遅れと言われ、あっという間になくなってしまったことを思い出しました。
叔父が亡くなった時、私はまだ20代でした。50歳という年齢はかなり先のイメージがありましたが、従妹たち(叔父の子供達)がまだ成人して間もなかったことを思うとやはり、早すぎた、と思わざるを得ません。
かくいう私も40代、50代に手術を受け、特に40代の時は子供がまだ8歳で20歳まであと12年もある、と思うと涙が出たものでした。
まだ40代なのにあと12年生きられるかどうかわからないと思うことは、とても悲しかったです。
現在病気は完治した状態ですが、死と向き合う機会があったことで、いつかは死ぬ、という事実をかなり実感するというか、現実的に考えています。
生きるということは楽しいことばかりではもちろんありませんが、とにかく長生きしたいとかあまり執着しなくなりました。
以前瀬戸内寂聴さんが「できれば野垂れ死にが理想」とおっしゃっていて、それを聞いた当時は理解できませんでしたが、今なら少しはわかります。
神様が「もう死んでもいいよ」とおっしゃるまで。つまり、心臓が止まるまで、ちゃんと生きればそれでいいのだ、と思うのです。
そう考えると古賀稔彦さんや私の叔父も最期をどう迎えたかはわかりません。
突然亡くなったわけではないので、もしかしたら死と向き合った人は誰でも死を受け入れているのかもしれません。
そう考えると当事者でない人間が軽々しく無念だったろうなどと言っては失礼かも知れません。
私も延命治療はしない、と決めてはいますが、「治る可能性が少しはある」と言われたときどう選択するのか、落ち着いて死を受け入れられるのか、やはりその時になってみないと、という心配はあります。
一方で物事に色々疲れてくると、「神様、そろそろいいですか?もう十分頑張ったから」と言いたくなる時も。まあそんなときはなかなか死なせてもらえないようですが(笑)
で、結局「ああ、頑張らなくちゃいけないんだな」と腹をくくってみたり。
どうか死ぬまでちゃんと生きられますように。
偉大な方の死は、生き方を示してくれますね。
ありがたいことです。
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