日舞ダンサー千翠珠煌の子育てー青春・不登校編

中学受験奮闘記⁈

幼少期は様々な経験をさせてもらい、大変なこともありましたが、楽しかったです。

小学校は本人にとっても楽しいものだったのではと思います。受験勉強が始まるまでは。

私も中学受験をしたので、中高6年間学校生活に集中できるのは良いことと思っていました。

ただ、今思うとですが、集中は得意なものの、マイペースだった娘には、どんどん詰め込んでくる塾の勉強は心身を追い詰められる、過酷な体験だったと思います。

でも、高校受験を経験していない私には、受験をやめることが未知すぎて、やめていい、とは言えませんでした。

幸い、マイペースでできる個別の塾と出会うことができ、そして娘に行きたい憧れの学校が見つかり一生懸命勉強してくれました。

わが子ながら、こんなに頑張ることができるとは、すごいことだと思いました。

その結果、私の時では考えられないくらい勉強して、第一志望の学校に入ることができたのです。

完全ではなかった娘への理解

順風満帆の学校生活が始まるはずでした。

学校では家での勉強についても厳しい管理がありました。

私はせっかく受験が終わって、沢山楽しんでほしかったのに厳しすぎるのでは、と思っていました。

その学校は付属の小学校組がいて、受験組と学力格差があるため、余計に厳しかったようなのです。

しかし受験組は、勉強する習慣がついているので、本当はそんなに言われなくてもよかったのではと思います。

真面目な娘は、言われたとおり、いえ、それ以上に勉強したため、成績は学年でもトップクラスでした。

でも、電車通学時も勉強したり、家でくつろぐ時間も無くなり、必須の部活動も始まると精神的に限界に。

ある朝、「学校に行きたくない」と突然言われました。まだ6月だったと思います。

驚きましたが、とっさに2つのことを思いました。

1つは、私は彼女の味方でいよう、理解者でいよう、ということ。

もう1つは、このまま引きこもりにしてはいけない、ということ。

家を出るということはとてもエネルギーがいると思います。一旦そのエネルギーが無くなってしまうと、エネルギーを取り戻して外に出るまで、下手すると何年もかかってしまう。それは避けたい、と思っていました。

とりあえず1週間お休みしましたが、学校にカウンセラーがいるので、そこに通うようにと約束しました。

当時の娘はなぜ行きたくないのか、言葉で表すことができず、なかなか理解、というところまでいきませんでした。カウンセラーも、親が原因では、とかいろいろ聞きだそうとしましたが、一応私は頼ってくれていたようで(笑)

やっぱり一人っ子なので、私が味方しないと追い詰められてしまうと思い、何とか理解したい、理由を解き明かしたい、と思っていました。

娘の集中力は堅固な理性の力に支えられていました。

勉強しようと思っても眠かったり、疲れていれば普通「やっぱり明日にしよう」となったりしますが、一度こうする、と決めると絶対に実行するのです。自分の体調など一切無視できるのです。

人は、限界を迎える前にやめることができますが、娘にはそれができない。心身が壊れてから気づくのです。

私は彼女の集中力を尊敬していましたから、その性質が彼女を追い詰めるとは全く思っていませんでした。

そして、マイペースと思っていた娘は実は周りをよく見ていて、たとえば母親の私が嫌がりそうなことは絶対にしませんでした。

一緒に買い物に行っても、「何か欲しいものある?」なんて聞いても絶対に「買って!」とは言いません。ですから、何度も「今日は買ってあげるのよ」「正直に言っていいのよ」と言い、やっと聞き出せる、という感じでした。

学校でも色んな先生が「こういう勉強はやっといた方がいい」みたいなこと言いますが、普通は「そんなに言われても全部はできっこない」と思ってしまうところを全部やろうとして追い付かなくなる。

自分で自分を追い詰めてしまうのです。

人に合わせるのが本当は苦手で、本当にマイペースなのだ、とわかるのはまだまだ先の事でしたが、1年の秋には高校を受験する、と決めました。

あと1年で卒業なのに…

それまで私立の学校しか見てこなかったので、県立に行きたい、というのは言いにくかったようです。

でも、学校見学に行くと皆生き生きしていて自由にいろんなことにチャレンジしている様子がとても良くて、応援しようと思いました。娘もまた目標が見つかって勉強する!と言っていたのですが。

2年生ももうすぐ終わる冬だったか、「もう限界」と言ってきました。

思わず言ってしまいましたね。ここまで来たら、あと1年、1年我慢すれば卒業だから。

でも、彼女の「限界」は、本当の限界なのです。そう悟った私の行動は早かったと自負(?)しています。

以前テレビで見たフリースクールです。そこで、不登校児のための中学校を作った、という話をとても興味深く見ていたのを思い出しました。

学校に話をつけて、推薦書を書いてもらい、期限ぎりぎりに願書を提出。面接を受けました。

残念ながら途中入学は、よっぽどの緊急性が無いと入れない狭き門で、入学することはできませんでした。

「頑張って学校行ったのに、入れてもらえないの⁈」この時には本当に申し訳なく思いました。

2年の冬まで学校には通っていた為、不登校扱いされなかったことが大きかったようでした。

でも、悲しんでばかりいられません。

学区内の公立中学に通い(あるいは在籍して)フリースクールに行くこともできます。

結局公立に在籍し、週に1度くらいカウンセラーのもとに通いながら、夏休み明けからフリースクールに通うことになりました。

実は、夏休みまで塾は通っていたのですが、高校フェアに行く途中、思いがけないことを言われました。

「芸能人になりたい」というようなことを言い出したのです。

そんな話は今までしたことも無かったので、ちょっと驚きましたが、自分からやりたい事を言えたことはとても嬉しいことだったので、「公立に行って授業料もかからなければ、その分で養成所とか通ってもいいよ」と賛成しました。

ところが、その時に行った高校フェアで、芸能系の学校に出会います。

娘はもう「ここに行きたい!」しか言わないし、ちょっと遠いけど、気に入ったなら、と承諾しました。

それで、塾の勉強も3年生の分がすべて終わる夏休みでやめて、フリースクール通いが始まることとなったのです。

フリースクールが良かった点は(もちろん事前に見学しましたよ)、何も強制されない、ということでした。

不登校の子たちは学校にいけないことで、強制されたり否定されたりといった体験をしている子が多くて、精神的にとても傷ついているのです。

だから、一緒に過ごす大人たちは彼らの興味のままに見守ったり寄り添ったり、手伝ったりするんです。

娘も心身ともに疲れていたと思うので、精神的に癒されて、自由になって、怖がらずにやりたいことにチャレンジしてほしいと思っていました。

気の合うお友達もできて、思ってもみなかった文化祭まで見せて貰えました。

そのフリースクールでは、通いの他在宅などもあり、柔軟な対応でした。希望すれば高校も卒業できます。

卒業資格自体は別の協力校に何度か通う条件があるようですが、もっと学びの場が自由に選択できればいいなと思いました。

中学卒業と同時にフリースクールも卒業を迎えました。たった半年の在籍でしたが、別れを惜しんで泣いてくれる友達までできて、本当に良かったと思います。

不登校の先に

芸能系の高等専修学校は、あらゆる表現の勉強ができるところで、今までイメージしていた高校とはまるで違いました。私もこんな学校に行けたら楽しかっただろうな、なんて思いましたよ。

娘は精神的にだいぶ解放されて、興味のあることは貪欲に吸収していたと思いますし、今まで通りの性格でどんなにやったことが無くても先生に言われた通り復習したりはしていたので、随分できることが多くなりました。

学校へも行きたくない時は行かない、と言えるようになり、親としては正直多少不安になることもありつつ、自分を出せるようになったのだと理解し、見守ったつもりです。

娘は現在成人し、まだ一人前とは言えませんが、磨かれた感性を様々なツールを使って表現しています。

人生に正解はない。親とはいえ、強制もできない。ヒントは与えられても最後は自分で切り開かなければならない。

今までの彼女の人生も、親として外側からしか見えませんので、全部知っているとはとても言えません。

それでも、力が及ばなくても、親はいつでもあなたの味方です。

これだけは、いつも本気で思っています。と照れずに言えればいいのですが…。

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA