いじめられているあなたへ

幼少期のいじめ

私は小さい頃活発な方ではなく、一日中お絵かきをしているような子供で、人見知りも強かったので、友達に何か言われても言い返すことはできませんでした。

幼稚園では年度途中から年長組に入ったこともあり、主に男の子たちにいじめられました。

母親がお迎えに来て、見ている前で罵倒されるのはとても嫌なことで、親には見られたくない、知られたくないと思ったものです。のちに、幼くても親に見られたくない、という気持ちを持つんだなあと。いじめられて相談できないのは自然な心理なのです。

ただ、このころはSNSが無かった時代、ということもあるのでしょうか、全員にいじめられるということは無くて、一緒に遊んでくれる友達もいたので、それは良かった点だと思います。私が途中から入ったからか、お姉さんの様に色々教えてくれたり、相手をしてくれた子もいましたし。

小学校に上がってからの方が我慢するのが負担に感じました。自分も色んな事がわかってきて、黙って耐えるのがつらくなってきたのだと思います。

そんないじめも3年生のクラス替えでピタッとなくなりました。1人2人くらいはいじめっ子と一緒のクラスだったと思いますが、精神的に成長したのか、私も少しは変わったのか、いじめられることは無くなったのです。

ごくたまに「そういえば、昔よく○○って言われてたよね」なんて思い出したくないいじめっ子から言われていたあだ名を言う子がいて、そのときは胸が苦しくなり、改めて、ああ つらかったんだ、と実感することはありましたが。

大人になってから

私が精神的にダメージの大きいいじめにあったのは、成人してからです。

私は19歳の時日本舞踊を習い始めたのですが、たまたま近所の稽古場で、お弟子さんも近所の方が多く、10代で入った私の親か、祖父母の年代の方ばかりでした。

初めて若い世代が入門したということで、師匠には期待もしていただきましたし、私も大いに頑張って稽古に励んでいました。

その稽古場では30代後半の先輩が一人いらして、初め「一緒に踊れるようになって」とおっしゃってくれていて、私が入門したときに名取になった方でしたし、私もその先輩から大いに学びたい、と張り切っていました。

ところが、ある時からだんだん態度が変わっていきます。

大人なので表立って誹謗するわけではありませんが、ことごとく遠回しに嫌味を言ってきます。

昔の稽古場なので、順番を待っているお弟子さん同士お茶を飲んだり、おしゃべりしたりするのですが、急須のある所に先輩がいるので、先輩がお茶を入れます。年下なので私が、というのですが、にらみつけて「いいわよ!私がやります」。

お茶を飲もうとすると、「あら、それ○○さんのなのに」といわれ、あやまったり…

一番若いから、と先生から合鍵をもらい、稽古場の掃除をよくしていたのですが(稽古場が別の場所にあったので)、その合鍵も先輩に3度ほど取り上げられました。(先生が取り上げられるたびに新しい鍵をくれましたが…)

だんだん嫌味では済まなくなっていきます。

先輩が他の人の稽古を見て、振りを覚えて先生に見せたことがあって、あとで先生に、「こうすれば教わらなくても一曲上がるんだから、あなたもがんばりなさい」と言われたことがありました。

人の踊りを見ただけで覚えるって、結構大変なのに…と思いつつ、私も頑張って1曲覚えました。

「先生、覚えたので、見ていただけますか?」先輩や、他のお弟子さんも4,5人いたでしょうか。ちょっと緊張しつつ踊って見せて、直していただきました。

”私にもできた”と嬉しく、他のお弟子さんたちも口々に「偉いわね~」とほめてくれて、私は稽古場を出て着替えをする部屋に行ったのですが、その、廊下を挟んだ部屋まで先輩の叫び声が聞こえてきました。

「そんなことしていいんですか?!」他のお弟子さんもいるのに、先生は罵声にも似た声を浴びることとなったのです。先生は言い返しませんでした。私は、先輩の怒りが収まってから、稽古場に戻ろうとゆっくり着替えていたのですが、怒りが収まる気配も無く、黙って稽古場に戻り、うなだれて聞いていなければなりませんでした。

先輩自身がしていたことなのに、なんで私がしてはいけないのか。これから先輩はどうするのだろう。

このことがあってから、先輩も「見て覚えてきました」とは言わなくなりました。

この頃からお稽古の時、私がじっと見ていると、覚えられちゃうと思うのか、「もういいです!」とすぐに稽古を終わらせていました。

私のお稽古の時はレコード係(早くお稽古を進めるために先生を助けてちょうどいい場所の音を出す係)をつとめ、長く教えすぎていると感じると、踊っている最中にレコードを止めたりしました。実際に先生に向かって「なんでそんなに長くやるんですか?!」と抗議することもありました。

舞台をみんなで見に行くときは、「あの子(私のこと)は誘わないでね」と他の人たちと行ってしまい、一人で行くことも。

しまいには、他の人に見られたくない、と別の時間で一人先生に教わることにした先輩。

それまで何度もやめたい、と思ったのを止めてくれたのは先生でした。そういう意味では私は恵まれていました。やめてしまった方も結構いらしたので。

でも、私も若かったからだと思うのですが、”いつかわかってくれる”と精一杯、誠心誠意接してしまいました。いいことではあると思いますが、相手は全く受け入れようとはしませんでした。どんなに尽くしてもにらみつけ、鼻で笑うのです。

反撃せずに何とか友好的にと接していると、相手はさらに自分が正しい、と攻撃が増すのです。

ここには書けないほどいろいろ攻撃され、傷つきました。でも、逃げてはいけない、いつかわかってくれる。そう信じていました。

しかし、これは大きな間違いです。

この状態を8年以上続けてしまった結果、私は先輩に恐怖を抱くようになりました。

理屈では私は悪くない、とわかっています。今ならあなたのここが間違っている、と言える…とは思うのですが、怖いのです。大げさではなく、戦慄してしまって体が硬直するのです。

先生が亡くなって師匠が変わり、会うこともなくなりました。

私も独立後に結婚し、子供が生まれました。

小学生になった子供とお祭りに行ったときのことです。

その先輩が踊っているのが見えました。私はとっさに、怖くて娘の陰に隠れたのです。もう会わなくなって10年以上たっていました。

理屈ではありません。もう関係ないのだとわかっていても、私は間違っていないと思っていても、こんな精神状態になってしまうのです。

心の傷を癒すのには、想像以上に長い時間がかかるのです。

逃げるのは負けではない

そんな人のために辞めるなんて、ばからしいでしょう?

先生にはよくそう言われ、励まされてきました。確かにその通りで、やめなかったから今がある、とも言えます。

でも、先生には申し訳ないけど、他の教室に移っても良かったかも、と思います。

癒すのに長い時間がかかるほど、心の傷を被るよりは、逃げて自分が自分でいられる安全な場所へ。

今、いじめを受けて、傷ついている人がもし、このブログを読んでくれているなら、どんなに反対されても、全力で逃げてほしい。

私はその先輩と別れてから、もうすぐ30年になりますが、いまだに過去の話ではありません。

夏休みが明ける前に、是非伝えたい、ブログに書きたいと思いつつ、思い出すのがつらくてなかなか手が付けられませんでした。

今は何をするにも意識的にお腹に力を入れて、”大丈夫‼”と自分を鼓舞しながら進みますが、それでもふと力が抜けた時、背後で冷たくにらまれ、嘲笑されている、という感覚になって萎縮してしまうことがあるのです。

これを読んだ皆さんにはそんな心の傷を負ってほしくありません。

あなたは何も悪くない。それは事実ですが、心に傷が残ると理屈ではなく恐怖が襲います。

どうか、そんなことを克服するために長い時間を使わずに済みますように。

色んな学校があります。色んな職場があります。ここしかない、なんてことは絶対にありません。

勉強する場所も、心を癒せる場所も、沢山あります。

一番大切な自分を守ってください。

自分の大切な、かけがいの無い時間を自分自身のために使えますように。

 

 

 

 

 

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ABOUT US
千翠珠煌
13歳よりアクションクラブに8年在籍。 19歳より日舞(古典・新舞踊)を始め、師範名取を経て1998年独立。 創作舞踊公演、舞踊指導等。 2017年千翠流舞を発足、国内外問わず舞踊ショー・イベントなどの活動をしている。