感性は磨ける。磨き続けないと感度が鈍る。ただ、感度がゼロにならなければ、復活することもできる。
私は一時期表現者であるより、生活を優先していた時期があります。
感情が疲弊して何を見ても触れても、感動できなくなったのです。
もう何も出来ないと絶望し、でもそのショックさえ感情が鈍くて、泣くことすらできませんでした。
友達と会っても、話を聞くのが精一杯で相槌さえ打てませんでした。
3年くらいたって、ようやく気持ちが動くようになり、ある舞台を観に行きました。
身体の表現だけでストーリーが綴られるその舞台は、半ばまであまりわかりませんでしたが、必死で集中するうちに、ある瞬間ドンと心に響いてきました。
これは我ながら驚く出来事でした。
その瞬間が過ぎてからは、身体表現者の思いが、セリフがあるが如く理解できたのです。
「良かった、やっと戻れた」
長く暗いトンネルを抜けて、意外なほど静かにホッとしたのでした。
表現方法は、各々の手段。手段は違っても、感性があれば、お互いに理解でき、通じ合うことができる。
様々な表現の手段があります。
技術的なことは、勿論その道のプロでなければわからないと思いますが、その表現が優れているかどうかは理解できます。
たまに「あゝ、この人は素晴らしい!」と言うと何も知らないくせに、とばかにするひとがいますが、そういう人は技術にこだわり過ぎて本質が見えない、見えていない可能性があります。
たまにお邪魔する舞踊会などでも、技術的に”上手”ならば良しとするような雰囲気を感じることがあり、残念に思います。
たとえ下手な踊りでも、気持ちが伝わる人はいます。その方が観る人は理解し易いし、楽しく観ることができます。
どのみち芸術表現に終わりがないのであれば、その時のベストを尽くし、下手でも精一杯気持ちを込めて伝えることを私はしたい、と思います。
そして舞台芸術のみならず、絵画、花、自然、人、モノ。
まだ見ぬ世界を遠ざけず柔軟に受け入れ、広がっていきたい、と思います。
そのためにも、優れたもの、素敵なものに沢山出会い、感性を磨き続けていきたい。
自分の世界が広がっていくって、想像しただけでワクワクですね🥰
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