やりたいことを真剣に考える
私は13歳の時にアクションクラブに入りました。
主催の倉田保昭さんの大ファンだったこと、芸能界にちょっと憧れていたこと、親への反発もありました。そんなに真剣に将来のことを考えたわけではなかったのです。
考えたのは、入会した後でした。周りは18歳以上の方ばかり。中学生の私にはすごい大人に見えました。倉田さんに会える、結構な運動もできるくらいの気軽な考えだった私に周りは厳しすぎて驚き、全く知らない世界に来たのだと思いました。
そして、全く自覚のない私を誰も相手にしません。皆必死に技術を習得し、アクション俳優にと確固たる夢を持って頑張っているのです。
その真摯な態度に私もいつしか突き動かされます。いつの間にか一生懸命打ち込むようになったのです。
それでもなお甘く映ったのかもしれません。「君くらいの技術は舞台役者なんかだったら1ヶ月あればできちゃうんだよ」「違う道を考えた方がいいんじゃない?」
胸をえぐられる言葉も真剣に私に向き合ってくれるからこそ。泣きたくなる気持ちをぐっと抑えて「私はやりたい」と言い返しました。
本気で打ち込むことの厳しさを8つ9つも上の先輩が、小娘の私にちゃんと教えてくれました。
まあ厳しく言われてかえって意地になったという部分はありましたが。
どれだけ一生懸命打ち込めたか
ひとつのことを極めようとすれば大変な努力がいる、とはわかっているつもりでも実際やってみないと実感できませんね。
ましてや一人でやるものであったら、比べようがありません。
アクションは8年で結局やめてしまいましたが、本気で打ち込む、ということを学べたのは良かったと思います。
就職などの時、恐らく同じ意味で部活を本気でやってました、みたいなことが評価されるのだろうなと思います。
身体表現を学ぶことについて、先のブログでも書きましたが、一生懸命本気で打ち込むとそれがすべて体に入った時、自分に向いているかどうか、好きかどうかということがわかります。
中途半端に学ぶと、良く実感できないまま、ただものにならなかったからやめた、という後味の悪いことになってしまいます。
進路を変えるのは負けではない
ただ、どうしても集中できなかったり打ち込めなかったりする場合、本当に興味があることだったのか、もう一度確認する必要があるかもしれません。
また、精神的な変化が関係することもあります。
私の場合で言いますと、幼少のころから、親に認めてもらえなかったことが、人に認められたい欲求を強く持つこととなりました。
そんなこともあって、芸能界に憧れたり舞台に立ちたいとの欲求が強かったのですが、最近は認知されることも増えたり、親に喜んでもらえたことに満足感が出てきたのか、別に表に立たなくてもいいのでは、と思うようになってきました。
内面の変化、成長によっても道は変化すると思います。
自分の内なる欲求は何なのか。
自分で見つけなければなりません。
良き先生に恵まれて、あなたはこれが向いている、と言ってもらえれば本当にありがたいことですが。
1つのことに打ち込めなくても
私は子供がいるのでどうしても親の立場から考えてしまいますが、1つのことを極めて金メダルを取ったり、表彰されたりしなければ失敗、みたいな考えはしたくないですね。
野球チームやサッカーチームに入っても、プロ選手になれるのはごく一握りです。
それは、一生懸命やったやらないの簡単なことではありません。
チームにはプレイに集中するタイプもいれば、仲間たちに目を配り、取りまとめたり、戦術を考えるのが得意だったり、様々な子がいます。
一人ひとりに合った仕事があるのです。
何をしても、自分の器に合った場所で、自分の個性を生かせる仕事を選ぶことができたら、それが一番の幸せだと思います。
親は、例えば選手にしたかったのにコーチにしかなれなかった、などと思わず、この子はコーチに向いていた。皆に頼られる素晴らしいコーチになってくれた、と子供の人生を祝福できるようになりたいですね。
そういう私も若い頃、先にアクションをやめた友達を内心良く思いませんでした。
その人が真剣に考えて出した結論ならば、喜んで送り出したい、と今は思います。
年齢を重ねた私でも、今だに道を探っているのですから。
今、自分が行く道は自分に合っているのだろうか。
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