道具への思い

先日X(旧Twitter)でグランドピアノの上に乗って(立ち上がって)歌う画像があり、”ピアノから降りてくれ”という反応が多数ありました。
ピアノは恐らくバイオリンなどよりも頑丈な構造なので、ひと一人乗ってもどうということはないのかも知れませんが、そういう問題ではありません。
と思っていたら次の日、箏2面を立てて穴を開けボルトで繋ぎ、洋服をかけられている画像が。
これを見た箏奏者の方の悲痛な声が載せられていました。
この画像は奏者でなくても酷い、と思わざるを得ません。
しかもこれが音楽に携わる企業でのことらしく、アーティストをどう思っているのか、表現するための道具に対するリスペクトは、と疑問を持ってしまいます。
中には、
“箏だって木を切り出して作るんだからやってることは変わらない”
みたいな意見もありましたが、そうではない、と思います。

私たちは皆命をいただいて生きています。
その命をどれだけリスペクトできるか。

特に和楽器は職人による手作りで、そうそう簡単に買ったり捨てたりすることはありません。
不要になったり、不具合が出ても直してまた使うことができるものなんですね。
演奏者の楽器に対する思いも想像してほしい。

私などはお扇子を普段使っていますが、お扇子は手に近い表現ができて、勿論思いもお扇子で表しますし、身体の一部と言っても過言ではなくて、棒切れのように使う人を見ると本当に許せない気持ちになりますね。

以前たまたま舞台で和風アイドル?みたいなグループを見かけたんですが、お扇子を振り回して不要になると床から滑らして舞台袖まで投げたんですね。
それを見た時は”やめて!”と叫びそうになりました。
チアなどで見るポンポンも、袖に投げたりすることもあるので、そう思うと文化的な違いなんでしょうか。

安くてすぐ手に入る、壊れても惜しくないようなものばかりに囲まれて、職人が何ヶ月も何年も天塩にかけた品物が意味をなさなくなってくるということなのでしょうか。

こういうことは説明して理解できることではないのかもと思うと、どう生活を変えていけばわかってもらえるのか、わかる日は来るのか、ちょっと虚しさも感じます。

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千翠珠煌
13歳よりアクションクラブに8年在籍。 19歳より日舞(古典・新舞踊)を始め、師範名取を経て1998年独立。 創作舞踊公演、舞踊指導等。 2017年千翠流舞を発足、国内外問わず舞踊ショー・イベントなどの活動をしている。